『チェ 28歳の革命』


監督/スティーヴン・ソダーバーグ
2008年スペイン・フランス・アメリ


 モノクロの室内。ゆっくりと立ち上っていく葉巻の煙。

「革命家はやめられないと?」

 インタビュアーが放った言葉の先にはチェ・ゲバラ。20世紀最大の革命を成し遂げた男。

 「チェ・ゲバラをTシャツでしか知らないあなた!」というおすぎの叫びを聞いて、「えへへすみません」と降伏して観に行ったものの、思っていた以上に自分がゲバラのことを知らなくてびっくりしました。おそらく、余程のマニア(もしくは元・革命戦士)でもない限り、観に行った人の大半はそう感じたのだろうと思う。上映前のご親切な「チェ・ゲバラとは?」という数分間のフィルムも虚しく、カメラは意図的にゲバラの“人となり”を削ぎ落として回る。『モーターサイクルダイアリーズ』の中で描かれたようなゲバラの青春、妻と娘のこと、アルゼンチン人がキューバまでやってきた理由、そういうものは既に自明のこととされ、スクリーンに映るのは森。森。海。銃声。銃声。血と汗。緑。混乱の中でも不思議と情にあつく信頼関係で結ばれた、一種理想的なゲリラ戦線。

 わたしは申し訳ないことに外国人の顔の区別がつきづらいので、始まって1時間くらい経つまで、ゲバラ以外は誰が誰やらわかりませんでした。たいへん正直に申し上げると、ゲバラすら30分くらいわからなかった。髭を生やしているとみんな同じ顔に見える。ぜんぜん見えるね。 反乱軍の主要人物が頭の中で個別化され、ベニチオ・デル・トロの立ち居振る舞いが悉く格好良く見え始めたあたりから、映画も段々面白くなるという。そのくらい、ヒーロー物としては異質な感情移入の排され方なのだけれども、それはつまり、ゲバラをヒーロー視する無責任な目線を排除している、という気もします。

 映画は『39歳 別れの手紙』できちんとしたクライマックスを迎える(たぶん)ので今の時点では何もいえないのだけれど、革命。革命という言葉がこんなにも、きちんと、社会の中で生きていた時代があったのだ、ということに、80年代生まれのわたしは驚きます。やっぱり。「かつて、本気で世界を変えようとした男がいた」というキャッチコピーは大袈裟でも何でもなく、これはそういう男の話であり、そういう男がいた時代の話でもある。世界が変わることが大衆によって信じられ、実際に変わった時代。ゲバラが国連総会で行う演説は、そのまま現代にも通用するのだけど(というか、それを意図してこのシーンは作られているのだろうけど)、その背景が圧倒的に異なることを思い知らされます。

 21世紀、チェ・ゲバラを呼び表すには“テロリスト”という言葉しかない。飛行機を乗っ取った人たちとゲバラとの間にどんな違いがあるのか、ないのか、わたしたちはたぶん、もう一度よく振り返ってみる必要がある。

 サルトルも、ジョン・レノンも憧れた男。ベニチオ・デル・トロはとにかくなりきっていて、ちょーかっこよかったです。観終わったあと無性に葉巻が吸いたくなった。